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英語、英語というけれど、みんな国語をなめんなよ

 

 

 

新しい学習指導要領の改訂内容が発表された。小学校3年生から英語の授業が加わり、小学校5年生から評価の対象となる。さらに、センター試験が廃止され、外部の民間試験による英語四技能の成績が大学入試に活用されるらしい。私の周囲だけかもしれないが、英語ばかりが取り沙汰されて、英語、英語とやたらとうるさいが、国語が軽視されていないか気になってしまう。

センター試験に代わる新しい入試問題では記述式の問題も導入されるようなので、決して軽視されてはいないと信じたいが、私がついつい国語という教科の扱いを気にしてしまうのは、大学時代、日本文学専攻で、まったく活用できていないが国語教育について少々かじり、教員免許も取得したからだろう。

 

国語が得意な人というのは他教科が得意な人と比較して、評価されにくい気がする。数学が得意、英語ができるとなると尊敬されるが、国語の場合は、「国語は日本語なのだから勉強しなくてもできる」と軽んじられる傾向にある。しかし、本当に「勉強しなくてもできる」のだろうか。

私は何も難解な古文・漢文の重要性について訴えたいのではない。(古典についても日本人の教養としてある程度は知っておきたいところではあるが)そうではなく、日常で求められる「読み・書き」の学習がきちんとこなせているのか、という点が気になるのだ。というのも、最近気がかりな記事をよく見かけるからである。昨年驚いたのが教科書レベルの基本的な文章を読めない中学生が多くいることを報じた「東ロボくん」のニュースだ。この報道から、文章の直前だけを見ていて文の構造を捉えられない生徒が一定数いることが浮き彫りになった。

 

LINEなど短文(あるいはもはや文ですらないスタンプ)でやりとりができるSNSに慣れた結果、長文が読めない子どもが増えているという調査結果も散見される。

私は教師ではないので、学生の読解力が本当に落ちているのかどうか現状を知ることはできないが、これはどうも学生に限った話ではないらしい。新入社員に読書感想文を書かせているという驚きの会社の記事もあった。

何も学校ではないのだからそこまでやらなくてもよいのではないか、担当する先輩社員もここまで面倒を見なくてはならないなんて大変だな、というのが率直な感想だが、しかし、そうでもせずには業務に支障が出るほど「国語力」の低下に危機を覚えているのだろう。

これらの記事を読んで私は「ほらね、勉強しなくても国語ができるなんてウソでしょ。国語をなめんなよ」と改めて思うのである。

 

もちろん、これからの世の中で英語は必要だろう。しかし、日本語が廃止でもされない限り、日本人はこれからも日本語で生活をし、日本語を母語としてアイデンティティを確立し、日本文化を海外に発信していくことになるだろう。ほとんどの日本人にとってこれからもコミュニケーションの礎となるのは日本語なのだ。

今の状況だと、英語も日本語も中途半端にしか身につかない人が増えてしまうのではないかと心配している。だから、国語もきちんと「勉強」しましょうね。