くすぶりOL日記

いつの間にか母になった30代OLが仕事や子育て、ファッション、アラサー友達の生態などを気ままに綴ります

来たるAI時代に備え「ドラえもんのび太とブリキの迷宮」を観る

日経ビジネスの記事を読んでいたら、ドラえもんの映画を観ることになった。
おそらく意味不明な思考パターンであろうから、きちんと説明しよう。

先日、日経ビジネスに孫泰造さんのインタビュー記事が載っており、2040年頃には現在の仕事の8割が消滅し、人間のやる仕事はどんどんなくなると書かれていた。AI時代がやってきて、今の仕事は大半が消滅するというのは去年からあちこちで耳にする論説だ。
こういう恐ろしい現象は私が死んでからか、せめて現役をリタイアしてから起きてほしいものだが、2040年なら23年後。私はまだ50代。最新の技術にすんなり適応できるほど若くはなく、しかしまだ隠居生活にも入れず、ただリストラ対象になる世代となっている、といったところか。最悪だ。

 

AIが人間から何かを奪う、という言説をきくと、いつも思い出すのが、幼い頃に観たドラえもんの映画、「ドラえもんのび太とブリキの迷宮」である。
映画の舞台は科学技術が発達し、ロボットが人間の代わりに働くようになったチャモチャ星。しかし、ロボット技術が進歩しすぎ、 歩くことすら放棄した人間は体が弱り、自立歩行もままなくなる。ロボットの開発までロボットに担わせた結果、ロボットの反逆が起き、人間はロボット達に捕らえられてしまう。そのチャモチャ星を救うため、ドラえもん達一行が闘う、といったストーリーだ。
ロボットと人間の戦いを描いた作品は他にもいろいろあるだろうが、幼い頃に何度も観たせいか、この映画の印象は特別強い。そこで、冒頭に書いた通り、15年か20年ぶりにこの映画を観てみた次第である。

改めて観て感じたことは、90年代前半に、それも子ども向けに作られた映画としては、ロボットあるいはAIが発達しすぎることによる危機が本当によく描かれているということだ。ロボットが従来の人間の仕事を担うようになり、働かなくなった人間はどんどん衰えていく、という展開やコンピュータウィルスによって親玉をやっつけると子分ロボットにまでウィルスが広がっていくというネットワークのもろさまで、現在の大人でも学ばされる要素は多い。何より、「道具ばかりに頼っていると、自分では何にもできないダメ人間になってしまうよ」というドラえもんのセリフにはドキッとさせられる。
一方で、科学技術が発達した世界のロボットという設定なのに、ロボット達がねじまき式で、敵なのにかわいらしさがある点や、サンタクロースがスネ夫ジャイアンの危機を救うなど、子ども向け映画らしいほっこりするユーモアもある。

残念なのは、のび太達が最終的にドラえもんの道具なしでは勝つことができず、人間対ロボットという構図であるべきところが、人間にとって善良なるロボット対悪なるロボット、あるいは道具対道具の争いになってしまっている点だ。道具なしでは人間はロボットと互角に戦えないのか、とちょっと悲しくなる。

 

さて、話を冒頭に戻すが、この映画は決して子ども向けの作り話ではなく、身近に迫っている危機のように思える。
以前、自動運転の車のニュースを見て、友人と、そのうち私達は車の運転すらできなくなるね、と話したことがある。考えてみれば、私たちはスイッチなしでは風呂も沸かせない 、できないことが随分増えたね、と。


人間は進化しているのだろうか。道具によって退化しているのではないか。AIの発展は本当に人間に幸せをもたらすのか。人間の能力を奪い、人生の過ごし方の選択肢を奪うことにはならないか。
ドラえもんを観ながら首をかしげる30代がここにいる。