くすぶりOL日記

いつの間にか母になった30代OLが仕事や子育て、ファッション、アラサー友達の生態などを気ままに綴ります

30代子持ち、ついにガーリー服を手放す決意をする

先日、なんとなく「ヒルナンデス!」を見ていたら、クローゼットの中を整理する特集をやっていた。洋服のコーディネーター兼収納術だかなんだかのよく分からないプロが、依頼主のクローセットの中をチェックし、いらない服といる服に勝手に分けて整理し、さらに残った服でコーディネートを考えてくれるという、クローゼットがパンパンで頭もパンパンの人には興味深い特集だ。

依頼主が0歳の子どもを持つ30代前半の女性で、ガーリー系の服が多いため年相応の服装を考えたい、というまるで私の生き写しのような人だったため、じっと見入ってしまった。さて、クローゼットの中を拝見してみれば、出てくる出てくる、花柄、フリル、膝上丈、スカート、ワンピースのモテ服パラダイス。30代でこれはないでしょ、と苦笑されながら、これはもう似合わない、これは着たらイタイ、とガーリー服がばさばさと切り捨てられていく。

はじめは自分のクローゼットのことも忘れて、30代でこの服はイタイわーなどと批評しながら見ていたが、次第に番組の趣旨も忘れて腹が立ってきた。服なんて本人が良いと思うものを着ればよいのだ。これはダメ、あれはダメとなぜ他人に批判されなければいけないのだ。本人が好きならば30代だってリンゴ柄の膝上丈ワンピースを着ればいい。

勝手に憤慨しながらテレビを消し、そうは言うものの、ふと我に返って自分のクローゼットを確認してみたくなった。クローゼットを全開にし、改めてしげしげと眺めてみた。

まず、第一印象として感じたのは、思っていたより服が汚くてぼろいということだ。20代前半から5年、10年と着倒した服は、シミ、毛玉、ほつれのオンパレード。日ごろのお手入れを怠っていたのがよく分かる。今までこんな汚い服を着ていたのか…と愕然とした。

次にやたらとリボンが目立つ。ワンピース、ニット、スカートに至るまであちこちリボンがお目見えしている。色はピンクを筆頭にパステルカラー系が多い。

これはまずい、なんとかせねば…。

そしてはっとした。育休中でそもそも外行きの服を着る機会が激減している今こそ、チャンスなのではないか。育休中にクローゼットを整理して、年相応の、知的でエレガントな服を新たに導入して、さっそうと職場に復帰するのだ。そうすれば、「くすぶりOLさんって頭だけでなく洋服もお花畑だったけれど、さすが、母親になって現実が見えたのね!」と職場で高評価を得られること間違いなしだ。

とはいうものの、貧乏性である私。大好きな服たちを簡単に捨てることができない。そこで思いついたのが、今をときめくメルカリの活用だ。不要な服は売ってしまおう。金になるし、捨てずにすむし、一石二鳥だ!―こうして私はメルカリ中毒への道を進むことになるのであった―。次回、「メルカリで服が売れない」。お楽しみにね♡

やってみて分かった「保活」の効率の悪さ

この頃話題の「保活」なるものに、私も昨年、かなりの時間を割いていた。見学に行った保育園の数、19園。そのうち、認可保育園14園に申し込みをして、現在結果待ちの状態である。いろいろ噂には聞いていたが、実際に保活をしてみて、その効率の悪さにはびっくりである。

 

まず、区の窓口で保育園のリストが載った冊子をいただく。次に、通える範囲の保育園をピックアップし、一園一園電話をかけ、いつ見学可能かをきく。指定された日時に子どもを抱っこして保育園に行き、毎回同じような質問をし、同じような説明を受け、抱っこ紐で肩と背中を痛くして帰ってくる。こんなことを19回も繰り返したのだ。そして、実際に入れる保育園はたったの1園か、運が悪ければ全部落ちるだけだ。

成案の可能性は極めて低いのに、一件一件順番に調べて電話でアポを取って…なんて、昔の超効率の悪い営業みたいだ。それでも我々は「お客様」側なのでまだましだ。大変なのは保育園側であろう。ただでさえ人手不足なのに、1年中いつかかってくるかわからない「保育園見学アポ取り電話」の対応をし、年がら年中見学者の対応をしなくてはならないのだから。

どうせ入れないとわかっている園を見学するときの不毛感もなかなかだ。我が子は「1歳4月入園」を目指している。0歳児クラスと1歳児クラスの定員が同数である園の場合、すでに0歳児数が定員に達している園は、その子たちがそのまま1歳児クラスに上がるので、実質1歳児の募集人数はゼロとなる。だが、もしかしたら今後引っ越しなどで空きが出る場合もあるかもしれない。そのごくわずかな可能性にかけてやはり見学に行き、申し込みをする。そんな親子が何十人もいるのだから、不毛としかいいようがない。そして、その「限りなく募集していないに近い状態」の園も、いちいち上記の見学対応に追われるのである。

せめてWebでスケジュール管理ができ、見学予約ができるような仕組みにはならないものか。あるいはもういっそのこと、VR見学などでもいいような気がしてきた。実際見学してみないとわからないこともある、とはいうが、ほんの一瞬園内を見たところで保育の質などほとんどわからないのだから、抱っこ紐で肩を痛める甲斐がない。

 

それでもまだ認可保育園はいい。区が申し込みと抽選の対応をしてくれるからだ。認証保育園はさらに効率が悪い。各園で抽選を行い(あるいは先着順で)、入園者を決め、「当選」となった人ひとりひとりに電話で連絡をするという。だが、ほとんどの人が認証保育園を認可保育園の「滑り止め」にしているわけだから、電話をかけてもたいていは「すみません、認可保育園に入園がきまったので!」と断られることだろう。TEL→断られる→TEL→断られる、の繰り返し。これまた超効率の悪い営業スタイルである。これもすべてIT化すれば解決することだと思うのだが。

 

連絡帳もほとんどの園が紙で対応しているというし、保育園はIT化から取り残されているかのようだ。改善を期待しつつ、認可保育園の「当選」発表を心待ちにしている。

還暦後出産、という妄想

30代になって強く思う。今の30代女性って忙しすぎやしませんか?

なんだかよく分からないけれど、多くの人が「30歳までに!」といって結婚を急ぐ。結婚するとやれ結婚式だの、引っ越しだの、人によっては住宅購入だのと大わらわ。そのあとは生産性がなんちゃらと言われるから妊活だ。子どもができたら子育てに奮闘するが、女性活躍社会だから働かなくては。育児と仕事の両立は大変だ。でも働いていると昇進なども気になるお年頃。しかし、その前に保活という壁が立ちはだかる。早い人だと親の介護の問題も生じてくる…。

世間から求められているものが多すぎるし、明らかに人生の一大イベントが30代に集中しすぎているような気がする。人生100年時代というのに、なぜこんなに短期間で多くのことをこなさないといけないのだろう。

諸悪の根源は、寿命が延びても出産可能な年齢が変わっていないことにあるような気がしてきた。35歳を超えたら高齢出産扱いになる。子宮はどんどん年をとっていく。子どものことを考えて、早く結婚を!出産を!と焦る。これは、私の親の世代から何も変わっていない。

 

そこで私はこう考えた。みんな、還暦を過ぎてから出産できるようになったらいいのに。テレビなどを見ていると、どうも時間を持て余している60代が多いように見える。第二の人生、自分探し、趣味や生きがい探し。職場を定年退職し、子どもも独立し、でもまだ元気で健康である。だからやることを探している。30代の私から見ると、失礼ながら「なんだか暇そう」に見えてしまうのだ。

人生の後半、60歳以降が無暗に伸びて、還暦後の時間を有効活用できていないように思う。還暦後子育てができたら、人生の一大イベントの時期として「ちょうどよい」気がする。

還暦までは仕事をする。もちろん、結婚したい人はすればいいが、何歳までに、と早い段階で焦る必要もなくなる。自分の働きたいように働いたら、いよいよ子育てだ。これまでの60年間の豊富な人生経験を活かし、次世代を担う子どもを育てるのだ。うん、これはいい。

まあ、でも元気とは言え、出産、育児ってかなり体力を使うから若くないとこなせないよね…生物としての人間の限界がね…と、こんなとんちんかんなことを書いてしまうくらいには疲れている。

中学時代の猛暑のろくでもない思い出

出産後、久しぶりにブログを更新する、書きたいことはいろいろあるが、いかんせん時間がない。それにしても今年の暑さは異常である。猛暑を伝えるニュースを家で眺めながら、今が育休の期間で良かったなと思う。

ふと窓の外を眺めれば、我が家の目の前にある高校のグラウンドで連日、日中に野球部やサッカー部が猛暑の中練習に励んでいる。やめろお、死ぬぞう、と叫びたくなるが、近所迷惑なのでやめておく。彼らはきちんと熱中症対策をしているのだろうか。

猛暑というと、今から15年以上前、私が中学生だった頃のろくでもない思い出がよみがえる。その頃、小学校から高校まで、学校という学校にはクーラーなんて当たり前のようになく、休み時間になると水飲み場に長蛇の列ができた。今ほど暑くなかったとはいえ、夏休み前は授業中、汗がだらだらと流れ、汗っかきな私はテスト用紙が自分の手汗でふやけてしまい、文字が書けずに焦ったこともあった。扇風機は飾り程度についており、熱風をかきまわしているのかどうかすらわからない。水泳の授業で涼めるのが唯一の慰めだった。

私の通っていた中学では、7月に球技大会があり、その時だけ水筒を持参することが許されていた。さすがに運動中の水分補給は、水飲み場だけでは追い付かないと判断したのだろう。水筒には水かお茶のみを入れてよいと決められていた。ところがある時、誰かが規則を破ってジュースを持ってきたことが先生にばれた。先生はたいそう怒り、バツとして次の球技大会の際には学年全員が水筒持参禁止を命じられたのだ!のどの渇きに耐えながら行った球技大会がいかにしんどいものだったかは語るまでもない。

今思うと、学校文化においてばかばかしい規則などがたくさんあったが、中でもこの水筒禁止令は意味不明である。一人が規則を破ったからと言って、なぜ関係のない者も含む全員が連帯責任を負わないといけなかったのか、いまだに訳が分からない。脱水症状を起こしたら命にかかわることだから、ばかばかしいどころの騒ぎではない。そもそも7月に球技大会をやるべきではないし、水筒は行事にかかわらず常時持参OKとすべきだろう。

さて、それから15年余りがたったが、ニュースなどを見ていると、いまだにクーラーが導入されていない学校があり、水筒持参を禁じている学校もあるようだ。もう本当にあきれてしまう。AIがどうこう言っているこのご時世に、学校だけが文明から取り残されているかのようである。

クーラーを設置しないことに何もメリットはない。勉強ははかどらないし、体調は悪くなるし、下手したら死ぬ。この春に生まれた息子が小学生になるころには学校がもっと快適な場所になっていることを望むばかりだ。

育休いつまで取るの?問題ー保育園と、昇格と

さて、またしばらくブログの更新を滞らせているうちに、いよいよ臨月となり、陣痛へのカウントダウンが始まってしまった。そこで出産前に、育休の取得期間について思うことを書きたい。

 

産前産後休業が終わったら、いよいよ育休に入るが、その取得期間をどうするかは悩ましい問題である。私の勤務先の場合、基本的に子どもが1歳になってはじめての4月まで取得できるのだが、じゃあそこまで取ればよいではないかというと、そういうわけにもいかないのだ。

 

まず、いわゆる待機児童の問題があり、私の住んでいる東京23区内では、0歳のうちに保育園に預けないと保育園に入れなくなる、というのが常識になっている。一番入園しやすいのが0歳4月入園だというので、多くの親はそこを狙って保活をする。昨年出産した友人たちに訪ねてみると、昨年6月に出産した友人も10月に出産した友人もそろって4月から子どもを保育園に預け、職場復帰するとのことだった。さらに、保育園に入れるか心配なので、生後4か月で保育園に預け、職場復帰した先輩もいた。つまり、「子どもが1歳になってはじめての4月まで」育休をとっている人は私の身の回りにはいない。保育園に確実に入れるためには会社の制度より早く復帰せざるを得ないのが現実である。

 

次に、昇格、キャリアの問題がある。以前、育休を1年以上取るとその後の昇格に影響が出る企業が多い、との情報が日経新聞載っていた。また、本来は子どもが2歳になるまで、など長く育休を取得できる制度が会社に調っていても、仕事で後れを取らぬよう、なるべく早く、産後数か月で職場に復帰するよう促している会社もあるようだ。

人生100年時代、下手をすると70歳、80歳まで働くようになるかもしれないと言われているこの時代に、たかが1年や2年職場から離れただけでその後の会社人生に大きな影響が出るのだろうか。あまりに短期的にものを見すぎていやしないかと批判したくなるが、私の勤務先とて例外とはいえない。私の勤務先では、30代前半で昇格選考の対象となり、実際に30代前半~半ばで昇格していく社員が多い。この時期はちょうど結婚、出産の時期と被っており、30代前半で出産し、育休、時短勤務を経験するとどうも昇格が遅れる傾向にあるように感じる。また、自分の業務内容を考えると、変化の著しいIT業界関連の仕事をしているため、1年も職場を離れてしまうと浦島太郎状態になって、仕事についていくのに苦労しそうな予感がしている。これらの事情からも、会社の制度とは関係なく、早めに職場復帰をする者は多いようだ。

 

しかし、せっかく会社の制度が調っているのに、上記のような理由から本来まだ保育園に入れる必要のない子まで早くから保育園に入るようになってしまい、余計保育園に入りにくくなっている、という現状はこれでよいのか?と考えてしまう。

私としては、せめて1年は家でじっくりと我が子の成長を見守りたいと思うところであるが…なんとも悩ましい問題である。

マタニティマークについて考える

さて、しばらくブログの更新が滞っていたが、ネタ切れに苦しんでいた訳ではない。実は夏に妊娠が発覚し、引越しの準備やつわりで大わらわだったのである。
安定期に入り、無事落ち着いてきたので、妊婦らしいテーマで久々の更新を試みたい。

ということで、マタニティマークについてである。お馴染み「お腹に赤ちゃんがいます」と書かれたあのキーホルダーを、私も区から受け取った。
これをつけたからといって、東京の人間は冷たいから席なんて譲ってもらえないだろうと思っていたが、案の定ほとんど譲ってもらえない。マタニティマークを付けて毎日片道1時間の通勤を繰り返し早2ヶ月強。席を譲られたのはたったの3回である。どうせそんなことだろうよ。

今は安定期に入ったが、つわりの時期、特に朝は気持ちが悪く、1時間立ちっぱなしなのはそれなりにしんどかった。さらに、座れないのはまだ良いとして、電車が混んでいて手すりや吊革にもつかまることができず、自力でバランスをとらなければならないのは、なかなかしんどい。これからどんどんお腹が大きくなるが、どこまで耐えられるか、超スパルタのバランス感覚テストを毎日受けているようなものである。今、私がこなしている業務の中で、「通勤」が一番のハードタスクであることは間違いない。せめてどこかにつかまらせてくれ。

そもそも朝は電車が混みすぎているのではないか。私の使っている沿線は、各駅以外はドアが閉まらないレベルで混んでおり、毎日駅員さんが乗客をぎゅうぎゅう押してやっとドアが閉まるレベルだ。私の乗っている各駅停車も、マタニティマークが見えないレベルに混んでいる。妊娠が発覚してから通勤時間を後ろにずらしたのに、だ。小池都知事の時差ビズはどこに行ったのだろう。希望の党のことはいいからまずは目の前のこの満員電車をなんとかしていただきたい。

そんな不満を抱えながら通勤していたある日、twitterで驚くべき投稿を見かけた。マタニティマークが幸せ自慢に見える。不妊治療を受けている人が見たら気の毒だし、あんなマークを考案した人の気が知れないというのである。マタニティマークが自慢とな!私はたまげた。
たとえば、「私は年収1000万超えです」とか「こう見えて東大法学部卒です」などと言ったらいかにも自慢だが、「私は妊娠中で体調が悪いので、できれば席を譲ってください」という意思表示、これが自慢に聞こえるだろうか。何とも信じがたい。

しかし、一年に生まれる子どもの数が100万人を切っているこの日本では、それだけ妊婦が貴重な存在になってきているということなのかもしれない。
そんなことを思いながら実家に帰ったら、母からはマタニティマークは危険だから外したほうがいいと言われた。それを付けていると妊婦だということがひと目でわかり、悪意ある人からお腹を蹴られるなどの被害に遭いやすい、というのだ。

マタニティマークをつけても、どうせ席を譲ってもらえないし、時には自慢だと言われるし、挙げ句の果てには妊婦だと思って悪意ある人に狙われるのであればやっていられない。そこで最近はマタニティマークを付けるのをやめてしまった。
マタニティマーク一つとってもなかなか悩ましい今日この頃である。

未知なるゆるふわ三十路との出会い

私はもともと友人が多いタイプでは決してないため、ふだん付き合う女友達もたいへん偏っている。
私がふだん付き合っている友人は、職業の違いこそあれ、フルタイムで働く総合職の正社員ばかりだ。友人達と話していると、みな仕事がハードで、それなりに苦労して20代を乗り越えてきている。仕事が一番大変だった時期に会社で血を吐いて救急車で運ばれたり、ストレス性の胃腸炎で苦しんだりと、何かしらの病も経験している。ちなみに私はストレス性のじんましんで5年も苦しんだ経験がある。

そんな中、学生時代のクラスメイトが、私の勤務先に短期アルバイトをしにやってくる、という偶然の出来事があった。
以前よりふっくらとした彼女は結婚後、専業主婦をしており、家事にも慣れたので短期アルバイトをすることにしたのだと言う。Facebookで友達申請が来たので、友達になってみたが、いやはや私の知らない優雅なゆるふわライフが展開されていた。趣味の音楽と着物を楽しみ、この時期は気候がよければ、ふらりと浴衣を着てお出かけ。しばしばホームパーティを開き、ご自慢のペットである猫はなんともかわいらしい。吐血胃腸炎じんましんライフとは明らかに次元の違う暮らしがそこにあった。
また、結婚式で別の旧友2名にも会う機会があったのだが、彼女達もまた、我々とは全く違う暮らしぶりであった。
1人はやはり既婚者で、結婚後仕事を辞め、今は週に数回受付のパートをしているという。ネイルの資格をとり、知人にネイルを施したり、アクセサリーを作り、ネットで販売しているのだそうだ。
ゆるふわライフをしているのは既婚者のみとは限らない。もう1人の旧友は、独身で実家暮らし。週3回パートをし、ヨガとピアノと歌と英会話のレッスンに通っているのだという。仲良しの両親とたまに飲みに行くのが楽しみなのだとか。2人とも吐血胃腸炎じんましんライフとはやはり無縁なのである。

普段接している友人だけを見ていると、苦労して働くのがふつうだと思ってしまいがちだが、周囲にこれだけゆるふわな生活をしている人がいるのに驚かされた。


政府は女性活躍社会を訴えるが、彼女達と自分達を比べると、何が本当の幸せか?と考えてしまう。
もちろん、彼女達の暮らしは、両親や夫の稼ぎに支えられているので、そこにリスクもあるのだろうが、幸福度を考えると、ゆるふわな人たちのほうが何となく幸せそうに見えるのは、ないものねだりだろうか。