くすぶりOL日記

アラサーOLが仕事やファッション、アラサー友達の生態などを気ままに綴ります

冷静沈着なのではない、心が死んでいるだけだ

楽しいGWも終わって、いつもにまして勤務中にだるさを感じる。睡眠をしっかりとっているのにこの疲れは何だろう。早くも5月病かもしれない。
隣の席の後輩ちゃんを見ると、いやはやパワフルで、休み明け早々バタバタと走り回っている。彼女はいつも一生懸命で、喜怒哀楽がはっきりしている。上司が無責任だとか、案件の進め方が支離滅裂だとかで、よく怒ったり泣いたりし、大きな案件がとれると飛び上がって喜ぶ。そんな彼女は私に、
「◯◯さんっていつも冷静沈着で、落ち着いてますよねー、私ももう少し落ち着かなきゃなぁと思います!」
と言う。
私は力なく曖昧に微笑むだけだ。

 

後輩よ、私は冷静沈着なのではない。心が死んでいるだけだ。
仕事をしていると、理不尽なことがたくさん起きる。自分が一生懸命準備していた案件が上司の鶴の一声でふっとんでぜんぶ無駄になったり(しょっちゅうある)、仕事の依頼先が締切を守ってくれなくて納期が遅れ、クライアントから怒られたり(前の部署ではよくあった)、腹の立つことも多い。
しかし、そんな時感情的に振る舞うのではなく、感情をコントロールするのが大事だと人は言う。私も20代前半の頃はよく怒っていたものだが、最近はそういうこともなくなった。本来の私は泣き虫だが、仕事で泣くことはない。これだから女は、と思われるのも嫌だし、若い子ならまだしも30代女が泣いているのはみっともないだけだろう。
このように、大人の対応を、と思っているうちに気づいたら心が死んだように感情がなくなってきていることに気づいた。だんだん自分の意思がなくなり、やがて自分がどう思っているのかもわからなくなっていくのだ。これはおそろしい。

 

そんな時、かの有名な茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩に出会った。
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ、で終わる、心に響く詩だ。
感受性と感情はちょっと違うような気もするが、間違いなく心が乾ききり、感受性も鈍っているので、私はばかものである。
表面的にはポーカーフェイスでも、その時自分がどう思っているのかを自分で認識できるようにしておくことはとても大切だと改めて思う。こうしてブログなどを書くのも有効かもしれない。
会議でも自分の意見を持つように努めないと、どんどん自分の考えがなくなっていくので怖い。
感情をコントロールするのも良し悪しがあるよなぁと思う、今日この頃だ。


このGW、みなさんは自分の感受性を取り戻しましたか?