歯を失って気づいたこと-私は何を残しただろう?
30年間虫歯ゼロ。
そんな数少ない私の自慢がもろくも崩れ去る事態が起こった。
思えば2か月くらい前から歯が痛かったような気がする。あれ、歯が痛むかも。中途半端に生えている親不知が自己主張し始めたのか?面倒だな、などと思いつつ、忙しさにかまけて放置していたのが悪かった。
「虫歯ですね。」
歯医者さんにそう言われた時は大袈裟ではなく死の宣告を受けたような気分になった。
「曲がって生えてきている親不知と隣の奥歯が虫歯になっています。結構進行しているので、奥歯は神経を抜くことになるかもしれません。親不知は早いうちに抜いてしまったほうがいいでしょう。」
これほど絶望的な気持ちになったのは久々だった。
親不知が抜かれ、奥歯がウィーンと削られていくあのいやな音を聴きながら、私の中で一つの“完璧”ががらがらと崩れていくのを感じた。
そして思った。
これから年を重ねていくというのはこういうことかもしれない。
健康だった歯が少しずつボロくなっていく。
疲れ知らずだった体が少しずつ疲れやすくなっていく。
つるつるすべすべだった肌には少しずつしわが刻まれていく。
その時、頭の中にあの歌の歌詞がよぎった。東日本大震災の復興支援ソング、「花は咲く」の一節。
“私は何を残しただろう?”
何も残せないまま、三十歳を迎えてしまった。何も残せないまま、このまま年だけとっていってよいのだろうか。
いや、よくない、今、体が朽ちていく前に、まだ若いうちにやりたいことをやって、そして何かを残さなければ。
この歯医者での一件をきっかけに、ブログを始めることにした。
それにしても歯医者でここまで考え込む大袈裟な人間は私くらいのものだろう。
なにせ、虫歯を通告された日、あまりのショックでお気に入りの傘を歯医者に置き忘れてしまったくらいなのだ。