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もうすぐ終わるけれど、どうせすぐ始まる

早いもので、今年もまもなく終わる。明日は仕事納めである。

今更新規で顧客を開拓しても仕方ないし、今年はもう営業に回るのはやめよう。社内で調整しないといけないあんなことや決裁書におこさないといけないこんなこともあるけれど、このタイミングで動いても、みんなに迷惑。だからやめよう。そんな口実で、先週からゆるゆると仕事をしている。

休み前のこのわくわく感は、社会人になっても三十路になっても変わらない。

しかし、私は知っている、SMAPはもう戻ってはこないが、仕事は再びやってくるということを!

今月サボった分、来月営業に回らないと予算は達成できないということを!

光陰矢のごとしとはよく言ったもので、時間が過ぎるのは飛ぶように早く、楽しみにしていたことはどんどん通り過ぎ、休日はあっという間に流れていき、気づいたら日常に戻っている。時間が自分の前に急速に近づいてきて、猛スピードで通り過ぎていき、振り返ると後ろにばかり流れてたまっていっているようだ。そして年々その速度は加速しているように感じられる。この繰り返しで、気づいたらお墓の中で冷たくなっているのではないかと絶望感すら覚える。年末年始もきっと瞬きをしている間に終わってしまうのだろう。

そう、いくら年末年始のちょっと長い休みがあっても、どうせすぐ来年の仕事はやってくるのだ。それでもかりそめの休息を楽しみに待ちつつ、今年最後のブログ更新としたい。

来年も良い年でありますように!

過酷な露天風呂

1年の疲れを癒そうと、秘境の温泉に行くことになった。秘境の温泉。なんと素敵な響き。人里離れた静かな温泉地でひっそりと過ごす休日。なんと優雅。わくわくしながら奥鬼怒へ向かった。

最寄りの駅に宿の送迎バスが到着。なんとここから宿までバスで2時間かかるという。さすが秘境の地である。バスに乗り込むと、ひたすらにただひたすらに山道を登っていく。

高度があがると、道が舗装されていないらしく、バスががたがた揺れる。山道をくねくねと曲がるたびに乗客は右に揺れ、左に揺れ。私は乗り物に乗るとどんな状況でも寝てしまうという特異体質なため、激しく揺れるバスに応じてかなりアクロバティックな格好で寝ていた。

 

ふと起きるとそこは雪国だった。ついでに首も腰も痛かった。

 

え、雪が降っているの。東京は暖かかったんですが。思っていたのとちょっと違うみたいだ。

バスを降りるとあっという間に雪がわが身に降り積もっていく。身を切るような寒さだ。

お部屋にはがんがんに暖房が入っていて暑いくらいだが、これではなかなか外に出る気になれない。

 

さて、肝心の温泉はどうか。一面の雪の中に湧き出る、露天風呂。猿でも浸かっているイメージだが、これが想像を絶する過酷さだった。

まず、露天風呂にたどり着くまでに浴衣姿で外を歩かなければならない。宿のスリッパから玄関に置かれているサンダルに履き替えようとすると、サンダルが凍っていて靴箱にはり付いており、はがれない。なんとかむしりとるようにしてサンダルに足を通すと、冷たいを通り越してじんじんと痛い。信長の草履を懐で温めていたという豊臣秀吉のありがたみを痛感する。私のもとにもカモン、秀吉!

雪の降りしきる中、小走りで屋根のある場所に向かう。そして、外気がびゅーびゅー入ってくる脱衣所で裸にならなければならない!尋常ではない寒さである。年に数人はここで心臓発作を起こして死んでいるんじゃなかろうかと思いつつ、勢いよく脱ぐ!脱いだら外に出る!雪が降っている!自分の体に雪が積もる前にすばやく湯に浸かる!熱い!でも寒いよりまし、とにかく浸かる!!

浸かってしまえば、はー、極楽極楽。なんとも眺めの良い雪見風呂である。ただし、頭は凍りそうなほど寒い。そして、この後待っているのは…今たどってきた道を引き返さなければならないという厳しい現実との直面!

 

秘境の地の雪見風呂は、私のような温泉初心者には少々過酷すぎた。

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条件が細分化されすぎる婚活パーティー

先日、ふと手にしたフリーペーパーに、婚活パーティーの情報が載っていた。

最近は街コン、趣味コンなんぞ序の口で婚活自体が多様化し、わけのわからない「コン」がそこかしこで催されており、婚活パーティー運営会社も差別化をはかるため、色んな条件の人の出会いの場を設けているようだ。

 

フリーペーパーに載っていた婚活パーティーの男性の参加条件を見てみよう。

たとえば年収800万以上、医師限定、国公立&有名私大卒限定。これらは古典的で非常に分かりやすい。年収(カネ)、医師(職業ステータス)、(学歴)といった高学歴高収入を狙った、いわゆる「高スペック男子」狙いの女性が群がることだろう。

ちょっと難易度が上がると、合わせ技が出てくる。たとえば25〜35歳かつ大手企業勤務かつ非喫煙者、など。どこからが「大手企業」なのかは少々気になるが、これもまあ、古典的条件でわかりやすい。

職業でいうと、手に職系、などちょっと変わった職業しばりもある。

 

一番気になったのが、身長176㎝以上、体育会系マッチョ、というしばりだ。高身長のスポーツマン、というのはこれまた古典的な条件だが…なぜ176センチなのでしょうか。175センチではだめなんでしょうか。蓮舫さんのノリで聞きたくなる。175センチの人が参加したら、身体計測などで引っかかるのでしょうか。

そしてさらに謎なのが体育会系マッチョである。何をもって「マッチョ」と認定するのだろう。身体計測の際に身長に加えて筋肉量でも測るのか。マッチョ認定士なるものがいるのか。学生時代マッチョだったが今や中年デブ、という残念男子は私の周りに何人もいるが、元体育会系マッチョはきっとだめなのだろう。そして「体育会系」とあるからには、きっと学生時代に体育会系の部活にでも入っていないといけないのだろう。元吹奏楽部のマッチョがいたらどうするんだろう。いないか。

しかし、これだけ条件が細分化されていると、参加する男性もどれに参加したらよいものやら、分からなくなってしまうのではないか。ええと、大手企業勤務だが喫煙者で身長175センチのマッチョ30歳は…ああ、どれにも参加できないわ。惜しいな。というかそれ誰だ。

 

ちなみに女であるわれわれの条件はどうなっているのだろう…と改めて見ると、年齢しかしばりがなかった。これも古典的だな。結局女は年齢がすべてか。

嗚呼、病院難民

銀行と病院はサラリーマンに優しくない。

どちらも就業時間中に開いて、就業時間中に閉まる。銀行の窓口に行くことはめったにないのでそれでも不便を感じないが、病院は本当に困る。

平日に病院に行くのを断念した場合、土曜の午前中という最も寝ていたいときに、疲れた体に鞭打って病院に行くことになる。よけい具合が悪くなりそうだ。大きな病気なら時間休でもとって通院するが、「ちょっとした不調」だとなかなか病院に行く気になれない。忙しいのも相まって、通院することは後手に回り、気づいたら虫歯が進行していたり、じんましんが慢性化して治らなくなったりしている。

それでも会社の近くで18時半頃まで開いている病院はあるから、平日、定時で社を出て、時間ぎりぎりに病院に行ったら、なんと追い返された。診察終了時刻10分前についたのに、である。また、何とか間に合って診察を受けられても、横で受付のお姉さんがこれ見よがしに掃除や銭勘定をはじめたりする。まったく落ち着かない。

休日、病院に入れたからといって油断はできない。最近やぶ医者にあたる率がとても高くて絶望している。ありがたいことに、私は大きな病気もなくここまでやってきて、いたって健康体。せいぜい風邪をひくかものもらいにでもなるかくらいだから、このくらいよっぽどのやぶ医者でない限り治せるであろうと見くびっていると、ひどい目に遭う。

まずコミュニケーションをとれない医者が多い。コミュニケーション能力なんて高度なことを言っているのではない。滑舌が悪くて何を言っているのかわからない、あるいは、人の会話を無視して、「うん、うん、うん」とあいづちらしき発声をして話をろくに聞かずに終わり、なんていう医者が多いのだ。さらに、会話ができてもひどいケースがある。

以前、風邪をひいて近所の病院に行ったら、適当な診察をされた後、適当な薬を出され、「様子を見て治らなかったら近くの病院に行ってください」と言われた。ここが近くの病院なんですけれど!!

また、母は手が痛くて整形外科に行ったら、「リュウマチじゃないよね?」と訊かれたという。それはあなたが判断するんですよ!!

まったく、ちゃんと診察してほしいものだ。

 

テレビのニュースでは早くもインフルエンザの季節が到来したと言っている。そろそろきちんとした病院を見つけて冬に備えたいものだ。ああ、行きたいときに開いていて、きちんと診察してくれる病院は、一体どこにあるのでしょうか。

おそるべしFacebook時代

仕事上、ベンチャー企業などから営業のメールを受け取ることがある。メールを見て、まずその会社のHPをチェックし、事業内容などのおおまかな情報を仕入れた後、連絡をくれた人の役職などをチェックする。これは昭和生まれの人の発想である。

私が上記の作業をちんたらとやっている間に、隣では後輩ちゃんが、

「うわ、チャラそう!あ、しかも意識高い系の投稿が多い。○○大卒かあ。おっ、××社の■■さんと友達みたいですよ!」

と矢継ぎ早に個人情報を引き出している。彼女はFacebookを見ているのだ。

 

最近、Facebookで得られる情報量の多さに驚いている。ベンチャー企業の役職のある人はたいていFacebookをやっているが、その人の容姿、年齢、学歴、趣味嗜好、人間関係までが一発でわかってしまう。

クライアントをFacebookで調べるなんて邪道、というのもまた昭和生まれの人の発想である。Facebookで事前に調査しておくことによって、「○○が趣味なんですね!」「○○さんとお知り合いなんですね!」などと会話のネタが見つかるため、初対面でも話が弾む。

隣の席の後輩ちゃんはTwitterも駆使しているが、こちらは商品・サービスの評判や話題性をチェックするのにもってこいだ。これまで各社のHPばかり見ていた私は営業としてすっかり遅れをとってしまっていた。時代は変わったなあ、昭和生まれも遅れをとっていてはいけない。ついでに言うと、先述のベンチャー企業の営業マンも平成生まれだった。若いな。

 

しかし、裏を返せば、私もクライアントなどから検索される可能性があるということだ。そこのあなた、のんきにマヌケ面をさらし、食べたケーキの写真ばかりアップして全世界に公開していては、会う前からおバカさん認定されてしまうかもしれませんよ。すべて私のことですが。

ああ、念のためあとでFacebookのプライバシー設定を確認しておこう……。

スポットライトの当たらない人生と、あがり症の関係

実は趣味で楽器をやっているが、あがり症なので困っている。あがり症なのは学生の頃からで、卒業文集にありがちな「なんでもランキング」で私は「将来大物になりそうな人」や「かわいい人」といった栄えあるランキングには絶対にランクインしないのに、「あがり症の人」という項目でのみベストスリー入りしていたのは忘れられない不名誉な思い出である。

よく「人前に立つと緊張してしまう」という人がおり、それはよくわかるのだが、私の場合、人がいなくても緊張するのだから、我ながら不可解である。

先日、ある発表会のリハーサルがあったのだが、舞台に上がった途端、緊張してしまい、いつも通りの演奏が全くできず、とても悔しい思いをした。リハーサルなので観客は一人もいない。それにも関わらずあがってしまうのだ。何とも理解しがたい。一体何がいけないのだろう。

 

原因としていくつか考えられることがある。一つはやはり、「人が一人でもいるとダメになる」という可能性。リハーサルなので観客はいないが、舞台にはピアニストがいる。照明や進行管理をしているスタッフもいる。その人たちを意識してしまい、緊張してしまうのだ。

もう一つの可能性が、「非日常の状況に緊張してしまう」というもの。一人で舞台に上がり、スポットライトを浴びて演奏する。これは日頃体験しない状況であり、そのため緊張してしまうのではないか。

どうも後者の説のほうが可能性として高い気がする。振り返ればこれまでの人生、私にスポットライトなど当たったことがあるだろうか。答えは否、である。日頃スポットライトの当たらない、地味な人生を送っているから、突然自分にライトが当たって動揺するのだ、きっと。

 

ここはひとつ、スタッフに私の時だけライトを消していただくよう、お願いしたいところである。暗所の中ではきっと緊張も解けるはずだ。ただし、楽譜がまったく見えなくなるので、記憶力が試される。むむむ、やっぱり照明を落とす案は難しそうだ。

 

となると自分で自分の緊張をコントロールするするしかない。しかし、これはとても難しいことだ。よく緊張するのは自分に自信がないからだというが、まさしくその通りで、私にはまったく自信がないのだ。これだけは自信を持って言える。

とりあえず深呼吸をして、息をしっかり吸おう、という何の変哲もない対応策を自分に課している。本番は一週間後だ。緊張を解くよい方法があったら、ぜひ教えていただきたいものである。

驚異的にデスクが汚い人々

どこの部署に行ってもたいてい一人はものすごくデスクが汚い人がいる。(うちの会社だけかもしれない。)今回はそんな「デスクが汚い人」のあり様に注目してみよう。(注目する意味があるのかどうかはまた別の議論だ。)

彼らのデスクは一面が書類の山、出社をしたらまずそこをかき分けてパソコンを立ち上げる作業から始まる。ひどいケースではデスクの下の引出しまでが全開になって、その上にまで書類が積もっている。デスクの書類の山には、いつ配られたのかも思い出せないような誰かの古いお土産が腐って埋もれている。たちの悪いことに、わが社のデスクは社員ごとにきちんとした仕切りがなく、島ごとに一続きになっている。よってゴミ、もとい書類の陣地もボーダレスとなり、隣のデスクにまで侵入していく。私は夜遅く、残業後に「デスクが汚い人」の隣の席の先輩が、ゴミの山を隣の陣地に押し戻している姿を幾度となく見た。(ついでに古いお土産をこっそり捨てていたのも見た。)

 

そんなはた迷惑な「デスクが汚い人」が上司だったことがある。上司だと決裁書など重要な書類をやり取りすることも多い。「デスクが汚い人」の書類は消えてなくなろうと知ったこっちゃないが、心配なのは私の書類までなくされやしないか、ということである。

決裁書を確認してもらうため、手渡ししようとすると、上司に「デスクの上に置いておいて」と言われる。え、この上に置くんですか、非常に置きたくないんですけれど。そう思いながら決裁書を仕方なくデスクに置くと、おいたその瞬間からゴミの山と一体化していることにまず不安を覚える。上司がすぐに書類を確認しない場合、例の決裁書の上にまた書類が積もっていき、更に不安は募る。さらに一度でも雪崩がおきたら、もはや発掘される可能性は絶望的である。そこで例の隣の先輩がゴミの山を押し戻している残業中に、私は例の決裁書をこっそり一番上に乗せなおしておく。

こんな調子で書類の管理がきちんと行われているのかはなはだ疑問だが、意外にも「書類をなくした」という話を聞かない。(むしろ私のほうが書類をなくしかけて慌てている。)「あの資料、どうなっています?」と尋ねるとがさがさと山を漁って、どうだ、こう見えて俺はきちんと書類の位置を把握しているんだぜとばかりに、目的の書類を出してくる。とすると、実は管理が行き届いている人なのではないかと思い、先述の「決裁書を一番上に載せなおす作業」など無用のことのような気がしてくるのだ。

しかし、だからといって汚いデスクをそのままにしていいというわけではない。例の隣の席の先輩は日々ゴミ、いや書類とのせめぎ合いに辟易しているのだ。人事異動があり、私はその部署を離れてしまったけれど、隣の席の先輩のためにも今度こっそり断捨離の本でも載せておこうか。どうせすぐ書類に埋もれるだけだろうけれど。