くすぶりOL日記

いつの間にか母になった30代OLが仕事や子育て、ファッション、アラサー友達の生態などを気ままに綴ります

なぜこんなに長い?今年のスカート丈

某ファッション雑誌で今秋のお洋服をチェックしてみたが、欲しい服が全然なかった。だいたい、今年はスカート丈が長すぎる。丈さえもう少し短ければ買いたいな、と思える服がたくさんあるのだが。

 

最近は、どのアパレルのお店をのぞいても、びっくりするくらい丈の長い服ばかりが並んでいる。並んでいるワンピースは9割型リゾートファッションを思わせるマキシ丈。これは異常事態である。こうなると数年前に買った膝丈のスカートですら、なんだか短すぎる気がして、履きづらくなってしまう。ギャルさえロング丈を着ているこの世の中で、年が若いならまだしも、30過ぎの女が20代の子より丈の短いスカートを履くのはなかなか勇気がいる。

数年前からミモレ丈などが流行りだして、年々スカート丈が長くなっていっているような気がして、なんだか嫌な予感はしていたのだ。

自慢ではないが、私は背が低い。身長は150cmジャストである。ミモレ丈以上の長さのスカートを履くと、体全体に占めるスカートの割合が大きくなってしまい、バランスが悪い。モデルさんが着て足首の近くまであるような丈の服は、私が着ると引きずってしまう。子持ちの身では動きやすさも重要になってくるため、引きずりそうなほど長いスカートは子育てにも不向きだ。

 

そして、さらに悪いことに、ボトムスの丈が長い分、上半身はコンパクトなのが流行りだ。トップスはタイトなシルエットで、たいていノンスリーブである。これは非常によろしくない。産後、私の二の腕はたくましくなり、下っ腹はぽっこりタポタポである。とてもタイトなノンスリーブニットでお見せできる代物ではない。唯一産後も変わっていない(と思い込んでいる)のが脚の太さなので、私としては上半身はゆるりとした服で隠しつつ、足を出していきたい。流行と全く逆行している。

ロング丈を着るためにせめてヒールで足の長さを稼ごうかと思うが、ここ数年のカジュアル傾向でペタンコ靴が流行っている。こうなるともう、我らチビ族はもう一巻の終わりである。

 

しかし、これだけ丈が長ければ、まさに日々聞いているアナウンスのごとく、“エスカレーターにお召し物が引き込まれ”て死傷者が多発しているのではないかと案じてしまうが、今のところ周囲で死傷した人を聞かない。ただ、駅の階段などで、スカートやワンピースの裾で雑巾がけをしている女性ならしばしば見かける。そして、今にもスカートを踏んづけそうで、やはり危ない。もしかして日本はいつの間にか女性の脚の露出を禁じることになってしまったのか?この反動で来年あたりミニスカブームでも来ないかな、と遠い目をしながら待ちわびるのみだ。

肋骨にヒビ、これすなわち共働き子育ての限界

4月から仕事復帰して、早2ヶ月。共働き子育てを経験してみての感想を率直に述べると、大変すぎる!何この無理ゲー!である。 何が大変なのか。3大共働き子育て地獄をまとめると、「体調不良」、「朝の準備」、「時間のなさ」。この3つである。

 

まずなによりも、体調不良。子どもは保育園に入るとよく体調を崩すと聞いてはいたが、なるほど、ここ2か月は10日おきに発熱している。毎回のように40℃近い熱が出、数日はそれが続く。さらに熱がない時も鼻水と咳が延々と出続ける。

そして、恐ろしいことに息子のその風邪がかなりの頻度で親にうつる。これがまた、いちいちタチが悪い。39℃の高熱が出たり、38℃台の熱が1週間近く続いたりと、大人になってから経験したことのないような重い風邪なのだ。 こんな重い風邪があってたまるか、これはインフルエンザに違いない、インフルエンザと言ってくれ、と毎回病院であの嫌なインフルエンザの検査を受けるが、なんてことはない、ただの風邪で、毎回鼻にこよりを突っ込まれ損である。 挙句の果てに私は6月の下旬から咳が2週間以上止まらず、夜も咳き込んで眠れない。やがて肋骨に痛みが走るようになり、深呼吸すらできなくなった。病院に行くと喘息の一歩手前、肋骨にヒビが入っていると言われて、肋骨を押さえながら日々を過ごし、今日にいたる。 夫もしょっちゅう体調を崩しているので、家の中が薬のオンパレード。かさむかさむ、医療費がかさむ。もともとは年に1回風邪をひくか否か程度の健康体だった私。今の状況は相当無理をしていると言わざるを得ない。

 

さて、第二の地獄は朝の準備。毎日5時45分に起き、1時間で食事をし、身支度を整え、7時前に息子を起こし、朝食を与え、連絡帳の記入、検温、おむつ(一枚一枚に名前を書かないといけない!もちろん週末にまつめて書く)、着替え、その他もろもろの準備をして、家を出るのは8時ちょっと前。子どもをベビーカーに乗せ、荷物を抱えて保育園に着くと8時10分。持ち物のセッティングをしてやっと子どもを預け、片道20分かけて駅に着いたと思ったら、待ち受けるのは乗客であふれんばかりの満員電車である。満員電車に揺られてへろへろになること1時間、会社にやっと到着だ。この頃にはもう、1日のエネルギーの80%を使い果たしている。 雨の日は特に地獄である。我が家は雨の日には抱っこ紐を使うことにしているが、前に10㎏の息子、背中に私と保育園の荷物、さらに傘を差し、体はボロボロである。月曜日の朝はこれにシーツやブレンケットが持ち物として加わる。自転車の導入を検討しているが、自転車組にはびしょびしょの刑が待っているので、迂闊に挑戦できない。

 

そして最後。とにかく時間がない。朝の時間のなさは前述の通りだが、夜も時間がない。16時半に会社を出、大急ぎで保育園へお迎えに行き、家に帰るともう18時過ぎ。すぐに息子の夕食にし、お風呂に入ると19時半過ぎ。そこから自分の食事の準備をし、食べ終えると20時半。速攻で息子を寝かしつけ、やれやれと思ったらもう21時。明日の5時半起きに備えて、そろそろ寝る準備をしないといけない。

 

こんな生活を誰が望んでいるだろうか。そしてこなせるだろうか。ことごとく否!だ。こんな生活を送りながら仕事をこなせるのは体力お化けだけではないかと思ってしまう。

仕事は休みまくりで中途半端、職場には迷惑をかけまくり、体はぼろぼろ、休日も体調不良と家事で何もできない。これが共働き家族の現状だ。

以前まで、「やっぱり息子くんには兄弟がほしいよね、二人目も考えよう」と言っていた夫が、最近は「二人目...?え、一人いればもう十分じゃない?」と遠い目をするようになった。なるほど、こうして少子化は進んでいくのだなと実感する日々である。

メルカリで服が売れない

さて、前回ブログに書いた通り、クローゼットの中の洋服を処分しよう、引っ越しついでに不用品も処分しようとして育休中にはまった新たな趣味、それはメルカリであった。

はじめは半信半疑ではじめたものの、やってみると意外なものが売れるので驚いた。

たとえば、ひびが入り、少々カビの生えた、安物のテレビ台。一人暮らしのときに愛用していたのだが、5年使用してお払い箱となった。こちら、5000円也。

たとえば、使いかけのファンデーション。といっても私がデパコスなど買うわけがなく、定価1500円程度のお品物。半分くらい使って忘れ去られ、いつ買ったかわからなくなって自分で使うには不安な商品。こちら、500円也。

たとえば、結婚式でウェルカムボードにしたブラックボード。家に置くには大きすぎる上に、100円ショップで買った造花をグルーガンでべたべた張り付けてしまって、使いようのない粗大ごみ風。こちら、2000円也。

こうして羅列してみるといかにもゴミっぽいものばかりだが、我が家にはゴミしかないので出品物もおのずとゴミのオンパレードになるのだ。

毎回クレームが来るのではないかとおびえながらそれらを発送したが、クレームどころか、「かわいいです」「気に入りました」などと感謝のメッセージが送られてくるのだから、たまげたものだ。ゴミを売って感謝されるなんて…とすっかりはまってしまい、夫婦であれもこれも出品する羽目になったのである。

そのうち、メルカリの評判を聞きつけた母から祖母の遺品処分まで依頼され、私は日々ゴミの出品と発送に精を出した。

え?肝心の服はどうなったかって?

どういうわけか、なかなか売れないんですわ、これが。なんでだろう。裾がほつれていたり、ボタンが一つ紛失していたり、毛玉ができていたり、しみがついていたりするだけなのに、なぜか売れない。たまにコメントがついたと思ったら、破り捨てるのに使いたいので購入してもよいかという恐ろしい問い合わせだった。あ、やっぱり私の出品物はゴミだと思われているのね。はい、保存状態が悪すぎるね。

ということで洋服は単品で売るのをあきらめ、まとめ売りにトライ。13点、コート付きで売り出してみたところ、育休のおわりにタイミングよく3800円で売れた。13点を引っ越し屋の段ボールに詰めたら、それこそゴミにしか見えなかったが、これを買ってくれる人がいるなんてありがたいことである。

さて、すっかりメルカリ中毒になってしまい、家の中にある出品できそうなものを血眼になって探し、そのうち夫まで出品してしまいかねないので、ここいらで休止を。今後子どものものが増えるだろうから、また何か売るものがたまったら再開してみるのもいいかもしれない。とりあえず、来週からは仕事に復帰するので、心を改めて働こう。

30代子持ち、ついにガーリー服を手放す決意をする

先日、なんとなく「ヒルナンデス!」を見ていたら、クローゼットの中を整理する特集をやっていた。洋服のコーディネーター兼収納術だかなんだかのよく分からないプロが、依頼主のクローセットの中をチェックし、いらない服といる服に勝手に分けて整理し、さらに残った服でコーディネートを考えてくれるという、クローゼットがパンパンで頭もパンパンの人には興味深い特集だ。

依頼主が0歳の子どもを持つ30代前半の女性で、ガーリー系の服が多いため年相応の服装を考えたい、というまるで私の生き写しのような人だったため、じっと見入ってしまった。さて、クローゼットの中を拝見してみれば、出てくる出てくる、花柄、フリル、膝上丈、スカート、ワンピースのモテ服パラダイス。30代でこれはないでしょ、と苦笑されながら、これはもう似合わない、これは着たらイタイ、とガーリー服がばさばさと切り捨てられていく。

はじめは自分のクローゼットのことも忘れて、30代でこの服はイタイわーなどと批評しながら見ていたが、次第に番組の趣旨も忘れて腹が立ってきた。服なんて本人が良いと思うものを着ればよいのだ。これはダメ、あれはダメとなぜ他人に批判されなければいけないのだ。本人が好きならば30代だってリンゴ柄の膝上丈ワンピースを着ればいい。

勝手に憤慨しながらテレビを消し、そうは言うものの、ふと我に返って自分のクローゼットを確認してみたくなった。クローゼットを全開にし、改めてしげしげと眺めてみた。

まず、第一印象として感じたのは、思っていたより服が汚くてぼろいということだ。20代前半から5年、10年と着倒した服は、シミ、毛玉、ほつれのオンパレード。日ごろのお手入れを怠っていたのがよく分かる。今までこんな汚い服を着ていたのか…と愕然とした。

次にやたらとリボンが目立つ。ワンピース、ニット、スカートに至るまであちこちリボンがお目見えしている。色はピンクを筆頭にパステルカラー系が多い。

これはまずい、なんとかせねば…。

そしてはっとした。育休中でそもそも外行きの服を着る機会が激減している今こそ、チャンスなのではないか。育休中にクローゼットを整理して、年相応の、知的でエレガントな服を新たに導入して、さっそうと職場に復帰するのだ。そうすれば、「くすぶりOLさんって頭だけでなく洋服もお花畑だったけれど、さすが、母親になって現実が見えたのね!」と職場で高評価を得られること間違いなしだ。

とはいうものの、貧乏性である私。大好きな服たちを簡単に捨てることができない。そこで思いついたのが、今をときめくメルカリの活用だ。不要な服は売ってしまおう。金になるし、捨てずにすむし、一石二鳥だ!―こうして私はメルカリ中毒への道を進むことになるのであった―。次回、「メルカリで服が売れない」。お楽しみにね♡

やってみて分かった「保活」の効率の悪さ

この頃話題の「保活」なるものに、私も昨年、かなりの時間を割いていた。見学に行った保育園の数、19園。そのうち、認可保育園14園に申し込みをして、現在結果待ちの状態である。いろいろ噂には聞いていたが、実際に保活をしてみて、その効率の悪さにはびっくりである。

 

まず、区の窓口で保育園のリストが載った冊子をいただく。次に、通える範囲の保育園をピックアップし、一園一園電話をかけ、いつ見学可能かをきく。指定された日時に子どもを抱っこして保育園に行き、毎回同じような質問をし、同じような説明を受け、抱っこ紐で肩と背中を痛くして帰ってくる。こんなことを19回も繰り返したのだ。そして、実際に入れる保育園はたったの1園か、運が悪ければ全部落ちるだけだ。

成案の可能性は極めて低いのに、一件一件順番に調べて電話でアポを取って…なんて、昔の超効率の悪い営業みたいだ。それでも我々は「お客様」側なのでまだましだ。大変なのは保育園側であろう。ただでさえ人手不足なのに、1年中いつかかってくるかわからない「保育園見学アポ取り電話」の対応をし、年がら年中見学者の対応をしなくてはならないのだから。

どうせ入れないとわかっている園を見学するときの不毛感もなかなかだ。我が子は「1歳4月入園」を目指している。0歳児クラスと1歳児クラスの定員が同数である園の場合、すでに0歳児数が定員に達している園は、その子たちがそのまま1歳児クラスに上がるので、実質1歳児の募集人数はゼロとなる。だが、もしかしたら今後引っ越しなどで空きが出る場合もあるかもしれない。そのごくわずかな可能性にかけてやはり見学に行き、申し込みをする。そんな親子が何十人もいるのだから、不毛としかいいようがない。そして、その「限りなく募集していないに近い状態」の園も、いちいち上記の見学対応に追われるのである。

せめてWebでスケジュール管理ができ、見学予約ができるような仕組みにはならないものか。あるいはもういっそのこと、VR見学などでもいいような気がしてきた。実際見学してみないとわからないこともある、とはいうが、ほんの一瞬園内を見たところで保育の質などほとんどわからないのだから、抱っこ紐で肩を痛める甲斐がない。

 

それでもまだ認可保育園はいい。区が申し込みと抽選の対応をしてくれるからだ。認証保育園はさらに効率が悪い。各園で抽選を行い(あるいは先着順で)、入園者を決め、「当選」となった人ひとりひとりに電話で連絡をするという。だが、ほとんどの人が認証保育園を認可保育園の「滑り止め」にしているわけだから、電話をかけてもたいていは「すみません、認可保育園に入園がきまったので!」と断られることだろう。TEL→断られる→TEL→断られる、の繰り返し。これまた超効率の悪い営業スタイルである。これもすべてIT化すれば解決することだと思うのだが。

 

連絡帳もほとんどの園が紙で対応しているというし、保育園はIT化から取り残されているかのようだ。改善を期待しつつ、認可保育園の「当選」発表を心待ちにしている。

還暦後出産、という妄想

30代になって強く思う。今の30代女性って忙しすぎやしませんか?

なんだかよく分からないけれど、多くの人が「30歳までに!」といって結婚を急ぐ。結婚するとやれ結婚式だの、引っ越しだの、人によっては住宅購入だのと大わらわ。そのあとは生産性がなんちゃらと言われるから妊活だ。子どもができたら子育てに奮闘するが、女性活躍社会だから働かなくては。育児と仕事の両立は大変だ。でも働いていると昇進なども気になるお年頃。しかし、その前に保活という壁が立ちはだかる。早い人だと親の介護の問題も生じてくる…。

世間から求められているものが多すぎるし、明らかに人生の一大イベントが30代に集中しすぎているような気がする。人生100年時代というのに、なぜこんなに短期間で多くのことをこなさないといけないのだろう。

諸悪の根源は、寿命が延びても出産可能な年齢が変わっていないことにあるような気がしてきた。35歳を超えたら高齢出産扱いになる。子宮はどんどん年をとっていく。子どものことを考えて、早く結婚を!出産を!と焦る。これは、私の親の世代から何も変わっていない。

 

そこで私はこう考えた。みんな、還暦を過ぎてから出産できるようになったらいいのに。テレビなどを見ていると、どうも時間を持て余している60代が多いように見える。第二の人生、自分探し、趣味や生きがい探し。職場を定年退職し、子どもも独立し、でもまだ元気で健康である。だからやることを探している。30代の私から見ると、失礼ながら「なんだか暇そう」に見えてしまうのだ。

人生の後半、60歳以降が無暗に伸びて、還暦後の時間を有効活用できていないように思う。還暦後子育てができたら、人生の一大イベントの時期として「ちょうどよい」気がする。

還暦までは仕事をする。もちろん、結婚したい人はすればいいが、何歳までに、と早い段階で焦る必要もなくなる。自分の働きたいように働いたら、いよいよ子育てだ。これまでの60年間の豊富な人生経験を活かし、次世代を担う子どもを育てるのだ。うん、これはいい。

まあ、でも元気とは言え、出産、育児ってかなり体力を使うから若くないとこなせないよね…生物としての人間の限界がね…と、こんなとんちんかんなことを書いてしまうくらいには疲れている。

中学時代の猛暑のろくでもない思い出

出産後、久しぶりにブログを更新する、書きたいことはいろいろあるが、いかんせん時間がない。それにしても今年の暑さは異常である。猛暑を伝えるニュースを家で眺めながら、今が育休の期間で良かったなと思う。

ふと窓の外を眺めれば、我が家の目の前にある高校のグラウンドで連日、日中に野球部やサッカー部が猛暑の中練習に励んでいる。やめろお、死ぬぞう、と叫びたくなるが、近所迷惑なのでやめておく。彼らはきちんと熱中症対策をしているのだろうか。

猛暑というと、今から15年以上前、私が中学生だった頃のろくでもない思い出がよみがえる。その頃、小学校から高校まで、学校という学校にはクーラーなんて当たり前のようになく、休み時間になると水飲み場に長蛇の列ができた。今ほど暑くなかったとはいえ、夏休み前は授業中、汗がだらだらと流れ、汗っかきな私はテスト用紙が自分の手汗でふやけてしまい、文字が書けずに焦ったこともあった。扇風機は飾り程度についており、熱風をかきまわしているのかどうかすらわからない。水泳の授業で涼めるのが唯一の慰めだった。

私の通っていた中学では、7月に球技大会があり、その時だけ水筒を持参することが許されていた。さすがに運動中の水分補給は、水飲み場だけでは追い付かないと判断したのだろう。水筒には水かお茶のみを入れてよいと決められていた。ところがある時、誰かが規則を破ってジュースを持ってきたことが先生にばれた。先生はたいそう怒り、バツとして次の球技大会の際には学年全員が水筒持参禁止を命じられたのだ!のどの渇きに耐えながら行った球技大会がいかにしんどいものだったかは語るまでもない。

今思うと、学校文化においてばかばかしい規則などがたくさんあったが、中でもこの水筒禁止令は意味不明である。一人が規則を破ったからと言って、なぜ関係のない者も含む全員が連帯責任を負わないといけなかったのか、いまだに訳が分からない。脱水症状を起こしたら命にかかわることだから、ばかばかしいどころの騒ぎではない。そもそも7月に球技大会をやるべきではないし、水筒は行事にかかわらず常時持参OKとすべきだろう。

さて、それから15年余りがたったが、ニュースなどを見ていると、いまだにクーラーが導入されていない学校があり、水筒持参を禁じている学校もあるようだ。もう本当にあきれてしまう。AIがどうこう言っているこのご時世に、学校だけが文明から取り残されているかのようである。

クーラーを設置しないことに何もメリットはない。勉強ははかどらないし、体調は悪くなるし、下手したら死ぬ。この春に生まれた息子が小学生になるころには学校がもっと快適な場所になっていることを望むばかりだ。