くすぶりOL日記

アラサーOLが仕事やファッション、アラサー友達の生態などを気ままに綴ります

どんどん馬鹿になっていく症候群

最近、同世代でおしゃべりしていると、男女を問わず、「最近、どんどん馬鹿になってきている気がする!」と己の馬鹿化を危惧する発言を耳にすることが多い。そして、私自身も、自分がどんどん馬鹿になってきているような気がする。
馬鹿になってきている、とはつまり下記のような現象を指す。

*大学を卒業して10年近くが経ち、学生の頃学んだことをどんどん忘れていっているのを実感している
*文章を読む機会が減り、特に難解な堅い文章が読めなくなった、ついでにちゃんとした文章が書けなくなった
*もともとない教養がますますなくなっている気がする
*漢字が書けなくなった

これらはすべて私も実感していることである。
学校で身につけたこれらの知識、能力のうち、仕事で使うものは限られているため、意識的に鍛えるようにしないと、どんどん衰えていくのだろう。
しかし、我々は勉強の出来具合で賢さを測りがちだが、社会人を10年近くやっていれば、きっと勉強以外の能力が上がっているはずだ...うーん、なんだろう。仕事をしているふりをする能力とか...テキトーに話を合わせる能力とか...作り笑顔を作る能力とか...あぁ、だんだん絶望的な気持ちになってきた。やはり馬鹿化は進んでいるのかもしれない。

女性は容姿の老化ばかりを気にするが、このままだと脳も劣化してしまうような気がしてきた。そんな話を先日、友人にしたら、友人は将来認知症になったらどうしようと不安なので、今から認知症対策をしたい、という。それはさすがに早すぎないか?
まぁ、怯えていても仕方ないので、私は今年の下半期にやることとして、次のような目標を掲げてみた。

*英会話力を高めるため、オンライン英会話のレッスンを受け、日常会話ができるようにする
*仕事で役立ちそうな資格を一つ取得する
*プログラミングの勉強をする
*なるべく多くの本を読む

これなら脳も活性化し、仕事に役立つ知識がつき、馬鹿化にも歯止めがかかるに違いない。しかし、心配事がまるで中高年のようだ。

そして、ダイエットと同じで挫折しないと良いのだが。

食にこだわりすぎる女たち

 

以前、趣味の音楽仲間の女性達5人で、練習後、ランチに行こうということになった。しかし、飲食店が少ないエリアだった上、5人で入れるお店がなかなか見つからず、さんざんうろうろした末、やっと一軒のパスタ屋さんにたどり着いた。やれやれ...と思い、入店しようとしたら、仲間の1人が、このお店では食べるものがない、と言い出した。「私、グルテンフリーダイエットをしているから、パスタは食べられないの」えー、またお店を探さないといけないの?これにはげんなりしてしまった。


同じような経験は他にもある。女友達と旅行に行った時のこと。1日観光をして、夕食も終え、さて、宿に戻ろうと思ったら、友人が「豆乳を買いに行きたい」と言い出した。毎朝豆乳を飲むことを習慣づけているというのだ。近くのコンビニに行ったら豆乳があったので、それを買うのかと思いきや、それではない、と言い張る。決まったメーカーの商品でないといけないと言う。しかし、いくつかコンビニを回ってもその商品が見つからない。歩き回ってクタクタである。ついに諦めるかと思ったら、彼女は「スーパーでないと売っていないのかも」と今度はタクシーの運転手にスーパーの場所をヒアリングし始めた。これまたげんなり、である。


この二件のように被害を被っていないが、飲食店絡みでのびっくり体験は他にもある。
先日会社の女性の先輩とランチに行ったら、お冷やとドリンクに氷が入っていた。私は気にせずごくごくと飲んでいたが、彼女は店員を呼び止め、氷を全て排除するようお願いしていて、驚いた。氷は体を冷やすので、一切食べないようにしているという。
また、部署の歓送迎会では、別の先輩が特定の食べ物を全て残したり、取り分ける際に「私はいらない」と主張するのでよほど偏食なのかと思ったら、炭水化物を一切とらないようにしているとのことだった。

このように、私の身の回りには、食事にこだわりすぎている30代女性であふれている。彼女達に共通しているのは、頑ななまでに自分のスタイルを変えない点である。みんなに悪いから今日はパスタを食べようかな、とか、旅行中くらいは豆乳を我慢しよう、といった発想はなく、パスタ、氷、炭水化物ダメ絶対!、豆乳なくして我が人生なし!とばかりに貫いている。それに巻き込まれる者はたまったものではない。
ただ、彼女らにはもう一つ共通点がある。みんなとてもスマートだということだ。裏を返せば、ここまで徹底しないとナイスボディーは維持できないものなのかと、おのれの出腹を見ながら思う。

 

やや話は逸れるが、先週念願のハワイ旅行に行ってきた。アメリカ人の料理はバターたっぷり、炭水化物祭りの超大盛りだが、若い女の子達は日本の3人前はありそうなそれらの料理をもりもりと食べていた。ビーチに行けばメイプル超合金も真っ青な巨体の女性がビキニ姿で楽しそうに写真を撮っている。
肥満は肥満でよくないが、彼女らの楽しそうな姿を見ていたら、本当に日本人女性は、食事や体型をあまりに気にしすぎなのではないかと思う。
ハワイで食べた食事の写真を載せつつ、ため息をつく。

 

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ロングすぎるヘアの弊害と、ヘアドネーション

先日、腰のあたりまであった髪を30cm以上カットしてきた。周囲からまるで別人のようになったと言われたが、頭が軽く、すっきりして、私自身も別人になった気分である。

ここまで髪を伸ばすと、まあ、ろくなことがない。まず髪を乾かすのに2、30分かかり、シャンプー代と電気代と時間がもったいない。次に、部屋が髪の毛だらけになる。カーペットに髪が絡まって掃除機でも吸えず、なんとも汚らしい。さらには髪がこんがらがって掃除機は壊れるし、お風呂も洗面台も詰まる。私はカラーリングを繰り返していた上、パーマもかけていたので、髪の傷みも気になる。枝毛と闘うため、定期的にトリートメント代はかかるし、とにかく大変なのだ。

はじめは結婚式に向けて伸ばしていたのだが、ヘアメイクの人に「髪が長すぎてかえって髪型の選択肢が狭まる」と言われ、もはや何のために伸ばしているのかも分からず、ただ貧乏性ゆえ、なんとなくもったいないから切らないでおこうと思っているうちに、この長さにまでなってしまった。

そんな時、たまたまネットでヘアドネーションというものがあることを知った。31cm以上の長さが必要だが、髪を寄付して、病気や事故などで髪を失った人のためのウイッグに活用してもらえるのだ。
これなら、髪を切ってももったいなくないし、私の髪も掃除機を破壊する以外の立派な役目を果たすことができる!さっそく近所のヘアドネーション協賛美容院を検索し、予約してみた。

さて、いざカット、という時になると、それでもやはりちょっぴり惜しくなって、頭の中を卒業ソングが駆け巡る。さーよーなら、さようーならー🎶
しかし、いざハサミを入れれば、あんなに伸ばすのに時間がかかった髪は、一瞬で肩までの長さになってしまった。

さようなら、手間暇かけて伸ばした私の髪!立派に人様のお役に立つんだよー(^-^)/

さて、また髪を伸ばそう!(←あれ?)

参考)ヘアドネーション
https://www.jhdac.org/index.html

 

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女は馬鹿な方がいい...なんてウソ

さすかにもう言われなくなったと信じたいが、私が学生だった頃はまだ「女は馬鹿な方がいい」説があった。高学歴女はモテない、結婚できないというのだ。


さて、それから10年近くが経った今、改めてこの「女は馬鹿な方がいい」説を検証してみると、少なくとも私の実感としては、まったくのウソだといえる。

例えば、ここ数年で結婚した、周囲の高学歴男性の結婚相手を見てみよう。

男: 東大院卒、女: 東大院卒 ×2組
男: 東大卒、女: お茶の水女子大卒
男: 東大院卒、女: 早稲田大院卒
男: 早稲田大卒、女: 早稲田大卒

とまあこんな具合で、もののみごとに高学歴男性はみな高学歴女性と結婚していた。彼らの出会いの場を聞いてみると、大学時代の研究室やサークル、あるいは職場だそうで、自ずと自分と同じような環境にいる同じような学歴の人と知り合い、結婚しているようだ。これは自然な流れのように思う。
彼らに聞くと、同じような環境にいる人の方が話が合う、結婚するなら一般常識の通じる人、経済的にも精神的にも自立している人がいい、などと言う。いや、なるべく馬鹿な女がいいですね、なんて言う人はいないのだ。

 

結婚のみに限らない。仕事ではもちろん、お馬鹿ではやっていられない。知識や高い能力を持ち続けないとだめだなぁと、だんだん若手ではなくなってきた今、強く思う。無知だと商談で恥をかくし、ただかわいいだけの女の子は飾り物で終わってしまう。以前何かの記事でアクセサリー女子、という造語を目にしたことがあるが、言い得て妙、だと思った。
つまり仕事でも絶対賢いほうがいいと思うこの頃なのだ。(さぁ、勉強するぞ)

 

結婚に話を戻すと、これは自論だが、同じような学歴、生活環境の者同士が結婚すれば、自ずと価値観が合い、1番うまくいくのではないかと思っている。
つまり、馬鹿な女がいいと言っている人は、その人自身が馬鹿なのだろうと思っている。
未だにそんなことを言っている男性諸君、自分の馬鹿さがバレるからやめましょう。

どんどんターゲットが高齢化するファッションブランド

さあ、夏に向けて新しい洋服が欲しい時期になってきた。張り切ってお買い物に繰り出すと、昨年に続き、今年もノンスリーブのワンピースが数多く出回っている。
自信を持ってノンスリーブを着こなせる女性は日本にどれだけいるのだろう。私は二の腕が太い上にちんちくりんなので、ノンスリーブのワンピースを着ると、ハンプティダンプティを彷彿とさせるスタイルになる。やれやれ困ったものだ。

さて、以前30代の洋服選びが難しいとブログに書いたが、最近とみに感じることがある。それは...ファッションブランドのターゲット、どんどん高齢化していますよね??ということ!
以下、ただの素人の洋服好きによる分析ですので、誤解などがあったらご容赦下さい。

 

1.ファッション雑誌のターゲットの高齢


たとえば、私が愛読している「美人百花」では、以前表紙に「26歳からの...」と書かれていたはずだが、いつの間にか「28歳からの...」に変わっている。
そして年齢層は上がったのに、載っているファッションはむしろより若い女の子向けのブランドのものにシフトしているように見える。もう卒業したつもりだったブランドが載っていて、あれ?まだ買ってもいいのかな、という気にさせられる。(おそらくそれが狙いだろう)

 

2.どんどん出てくるお姉さんブランド


たとえばセシルマクビーからお姉さんブランドのファビュラスバイセシルマクビーが生まれ、それがファビュラスアンジェラに変身。
レッセパッセのお姉さんブランド、デビュードフィオレが生まれ、そのさらにお姉さんブランドのHARYUが登場。先日デパートに行ったらHARYUで私の母親くらいの年齢の女性が試着をしていた。
これらの例は他にもあるが一度つかまえた客を同ブランドのシリーズに留めておこうという必死さがうかがえる。

 

3.通販サイトのモデルも30代に


これまで20代前半のモデルを使っていたブランドの通販サイトが、明らかに私より年上だと思われるモデルを使うようになってきている。
たとえば先述のデビュードフィオレ。最近のモデルさん、アラフォーに見えますよ。

 

4.ママさん店員大活躍


好きなブランドの店員さんのブログをしばしばチェックしている私。少し前までは20代前半の女の子のキャピキャピしたブログだったのに、最近はママさん店員のブログが目立つ。入園式で着られる服、子どもにママかわいい!と言われる服、など明らかにママ層にターゲットをシフトしている。

 

これらの動きを見ていると、いかに我々30代、それもついこの間まで何も悩まずモテ系かわいいファッションに身を包んでいた30代前半の女性を手放さないようにしているかがよく分かる。よほど今の20代が洋服を買わないということなのだろう。
このままだと私は40歳くらいまでCancam系の服を着続けることになるかもしれない。いやはや、おそろしい。

冷静沈着なのではない、心が死んでいるだけだ

楽しいGWも終わって、いつもにまして勤務中にだるさを感じる。睡眠をしっかりとっているのにこの疲れは何だろう。早くも5月病かもしれない。
隣の席の後輩ちゃんを見ると、いやはやパワフルで、休み明け早々バタバタと走り回っている。彼女はいつも一生懸命で、喜怒哀楽がはっきりしている。上司が無責任だとか、案件の進め方が支離滅裂だとかで、よく怒ったり泣いたりし、大きな案件がとれると飛び上がって喜ぶ。そんな彼女は私に、
「◯◯さんっていつも冷静沈着で、落ち着いてますよねー、私ももう少し落ち着かなきゃなぁと思います!」
と言う。
私は力なく曖昧に微笑むだけだ。

 

後輩よ、私は冷静沈着なのではない。心が死んでいるだけだ。
仕事をしていると、理不尽なことがたくさん起きる。自分が一生懸命準備していた案件が上司の鶴の一声でふっとんでぜんぶ無駄になったり(しょっちゅうある)、仕事の依頼先が締切を守ってくれなくて納期が遅れ、クライアントから怒られたり(前の部署ではよくあった)、腹の立つことも多い。
しかし、そんな時感情的に振る舞うのではなく、感情をコントロールするのが大事だと人は言う。私も20代前半の頃はよく怒っていたものだが、最近はそういうこともなくなった。本来の私は泣き虫だが、仕事で泣くことはない。これだから女は、と思われるのも嫌だし、若い子ならまだしも30代女が泣いているのはみっともないだけだろう。
このように、大人の対応を、と思っているうちに気づいたら心が死んだように感情がなくなってきていることに気づいた。だんだん自分の意思がなくなり、やがて自分がどう思っているのかもわからなくなっていくのだ。これはおそろしい。

 

そんな時、かの有名な茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩に出会った。
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ、で終わる、心に響く詩だ。
感受性と感情はちょっと違うような気もするが、間違いなく心が乾ききり、感受性も鈍っているので、私はばかものである。
表面的にはポーカーフェイスでも、その時自分がどう思っているのかを自分で認識できるようにしておくことはとても大切だと改めて思う。こうしてブログなどを書くのも有効かもしれない。
会議でも自分の意見を持つように努めないと、どんどん自分の考えがなくなっていくので怖い。
感情をコントロールするのも良し悪しがあるよなぁと思う、今日この頃だ。


このGW、みなさんは自分の感受性を取り戻しましたか?

ひとりでできるもん!...どこまで?

私が大学生の頃だっただろうか、便所メシという言葉がはやった。大学の食堂で一人で食事をすることができず、トイレで食事をする若者がいる、というのである。一人でいると周囲から友達がいないかわいそうな人だと思われそうで、いたたまれないというのだ。当時は、ずいぶんナイーブな人がいるもんだなぁと驚いた。トイレで食事なんて考えただけで気持ちが悪い。

私はといえば、自慢じゃないが友達の少ない大学生だった。しかし、一人でも気にせず食堂に行き、隣の女子の恋バナを盗み聞きしながら食事をし、隙間時間には図書館で昼寝をしていた。それはそれで気ままで楽しい大学生活だったなぁと思う。

 

あれから数年の間で、「おひとりさま」はかなりの市民権を得たと感じている。雑誌でも、旅行や飲食店のおひとりさま特集をよく見かけるようになった。会社内でも休みに一人で海外旅行に行く女性がたくさんいる。
彼女達を見ていると、自立した女性という感じがしてかっこいいな、と思う。私は一人で海外旅行には行けない。一人がどうこうというより、語学力に不安がありすぎるからだ。

一人でできることと一人でするにはハードルが高いことがあって、その基準が人によって異なっているのは面白い。
たとえば、一人カラオケはだめだ、という人がいる。一人でしょっちゅうカラオケに行っている(歌うのではなく楽器練習のため)ので、私からするとなぜだめなのかが理解できない。
カラオケといえば、以前にカラオケ館で、誕生月に来店するとチョコレートパフェを無料でプレゼントしてくれる、というものがあった。一人カラオケをした際に、果敢にも注文してみたが、一人でいるところに店員さんが「お誕生日おめでとうございます!!」と言ってパフェを持ってきてくれた時はさすがに虚しくなった。誰か、一緒に私の誕生日を祝っておくれ...。私もヒトカラパフェバースデーは無理だった!もう2度とやるまい。

 

私の場合、一人でいるのを他人に見られることに関しては抵抗がないが、単純に一人でやってもその面白さを感じられないものがだめな気がする。対して便所メシ系の人(なんだそのネーミング)は、おそらく一人でいるところを見られることが苦痛だと思うので、彼らとはストレスを感じるポイントが違うのかもしれない。

 

しかし最近は、何も一人で行かなくても...と思う場所まで一人で行って、私はこれも一人でできるもん!と自慢する人たちまででてきた。ディズニーも行けるもん!焼肉もできるもん!といった具合である。
このように自慢大会にまでなってくると、もはや何が何だか...という気がしてくる。